ごきげんよう。
タイトルの通り、私の東京都知事選挙2020が終わった。
私の選択を開示しよう。

大変遺憾なことだが、今回も投票権を放棄する。
そもそも誰に投票したか当日宣言してしまうと公職選挙法違反になるので開示するはずもないがね。
東京都知選挙2020では6年ぶり2回目の選挙投票を行なうと意気込んできたが、その公約は実現されず終了する。

投票権を放棄する理由は、結果にコミットしないことを確信したからである。
当初より私の願いは「小池百合子の落選」の1点に尽きる。
私の1票で都知事選当選者が変わる可能性はゼロとみなせるが、もし私が投票した候補者が小池百合子を打ち負かせば、勝利の美酒に酔うことができる。
しかしながら、それが無理であることが明らかになったので、私は投票所にいくことをやめる。

民主主義は難しいと心底思うよ。
1票で社会が変わらない中(ローカル選挙は別として)、ある程度の投票率を維持する必要がある。
個人の投票が選挙結果を左右しないことを認識したうえでも、投票することの価値を見出すことが重要なのだろう。

選挙の投票日が近づくと、インターネット上でも投票率向上キャンペーンが行なわれる。
例えば今回の都知事選では、Twitterのハッシュタグ「#都知事選を史上最大の投票率にしよう」で以下の画像が拡散されている。

投票に行かなかった人
前回の都知事選2016において、小池百合子が291万票の快挙を成し遂げる一方、投票に行かなかった人は446万人とのことである。
たしかに投票に行かなかった人を総動員すれば女帝を倒すことができる。なかなか上手な見せ方と言えるだろう。
しかしながら、そして当然ながら、我々都民個人には1人1票しか投票権が与えられない。個人の意思で446万票を任意の候補者に動かすことはできない。

また、選挙のたびに「投票しなかった奴は今後政治に文句言うなよ?」という謎理論が流布される。まったくもってナンセンスである。君たちに表現の自由を奪う権利はない。
それなら逆に、投票した有権者は当選者の政治に責任を持つのか?
誰に投票したかを問わず今回投票した都民全員で、これからも続いていく小池百合子の糞政治の責任を取ってくれるのか?

組織票などの固定票とは別に、思考停止で現職を選んでしまう馬鹿がマジョリティであることに問題がある。選挙に行かない人よりも、何も考えずに選挙に行く人の方が害悪である。これが民主主義の限界か。
ああ、嘆かわしい。なんもかんも政治が悪い。

今夜は都知事選の結果を見ながら酒を飲むとしよう。


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