ごきげんよう。それと、うぃっしゅ!

引き続きメンタリストDaiGo(松丸大吾。通称「イキリ論文太郎」)をネタにして遊びたい。
この堕天使ブログにも、DIGO先生に対する意見が寄せられている。特に長文での熱い非難コメントが投稿されたので、記事として紹介して差し上げる。
なお、あくまでも第三者意見の紹介であり、私の自演によるカバードアグレッションではない。

コメントが付けられた記事はこちら。

メンタリストDaiGoの避難所ペットNGに対する感情論を心理学的に解説する


早速そのコメントを引用する。

 1. 名もなき堕天使信者 2019年12月17日 06:00
甘いなオナニストDaiGoが馬鹿じゃないなんて、、、

この人が馬鹿なことは精神分析的に明らかですよ。
ペットの話でホームレスや弱者を攻撃するのは、合理性に欠けます。
そんなことをするのは抑圧している自己イメージであるイジメられていたホラッチョダイゴな自分を弱者に投影しているから。

欲動断念が回帰するというのが精神分析の考えで去勢不安であるイジメっこへのトラウマから防衛しようとイジメっこに同一視してしまっているんですよね。
でいじめられる自分を弱者に投影。

精神分析的には子供の鬼ごっことか歯医者さんごっこと同じ原理ですよ。
あと幼少の欲動断念の経験は超自我に回帰するんですよね。
だから彼の価値観は弱肉強食で人を騙すことに躊躇いがないわけです。
この人は科学という父的権威に依存し同一化することで自己批判の向きかえをしているんですよ。
彼の演繹的思考傾向や虚言癖などは全て精神分析によって整合的に説明のつく話です。

もっとも彼の自己認識においては合理化や知性化によったバイアスが強力に働くので彼自信は合理的な戦略だと思い込んでるわけですが、その自己欺瞞にのっかって分析したら終わりですよ。
そもそも抑圧されたものは否定によってしか意識できないですしね。

この根拠は本当にいくつもあるんですが長いから割愛します。

彼が馬鹿でないなんて推論は三流もいいとこですよ。
せっかくゴミ掃除として、頭の悪いオナニスト批判をなさってるわけですからドンクサイ分析で読者を失望させないでください。

私に対しても痛烈に批判されているわけだが……
もうね、おっしゃる通りかと。私が甘かった。

この投稿者は、メンタリストDaiGoの言動に詳しいこと、DIGOを精神分析していること、オナニストDaiGoに強い敵意を示していることから、メンタリストDaiGoの似非科学に裏切られた人物……例えば、元弟子ではないかと邪推している。

さて、私がメンタリストDaiGoが馬鹿でないと仮定した「ドンクサイ分析」については、昨日の記事でも反省の意を示している。
なぜメンタリストである私が「ドンクサイ分析」をしたのか、意見を残したい。メンタリストDaiGoが賢いという仮定は完全に間違いであることを認める。ここからの釈明が後付けの言い訳だと思われることも仕方ないだろう。

メンタリストDaiGoが立花孝志や「NHKから国民を守る党」を称賛する理由としては、称賛が真意であるか否かという観点で以下の2つに分けられる。
(A)メンタリストDaiGoは単なる馬鹿
(B)メンタリストDaiGoはN国党を利用して金儲けを企むビジネスマン

基本的に、私は人間が理性的に行動するものとして推論する。また、対象が馬鹿だとする仮定は危険だと考えている。
例えば、N国党首・立花孝志は、理解不能な人間や批判的な人間に対して「馬鹿」として一蹴している。このような認知能力が低下した立花先生を反面教師として、安易に対象を単なる馬鹿と見なさないようにしたいのである。

そして、それぞれのDIGO記事としては、メンタリストDaiGoをネタにしつつも「本当は賢いのに意図的に馬鹿を演じている」と仮定することにより譲歩的な意味合いを持たせた。また、メンタリストDaiGoが無能である可能性も想定しながら「馬鹿を演じて言っているだけ」と前置きして論調を否定することにより、広義のカバードアグレッションの高揚感も得ていた。

いやはや、メンタリストDaiGoなみに言い訳がましい意見を述べてしまった。
上記の釈明は後付け設定だと考えてくれて構わない。繰り返しになるが、今回の私に対する批判は至極もっともなものである。
御託を並べたけれど、私がメンタリストDaiGoの実力を見誤った根本的原因は、松丸大吾に対するリサーチ不足に尽きる。もしメンタリストDaiGoが無能であると確信していたならば、単に知能が低いから馬鹿げた意見を拡散しているに過ぎないと早期段階で断言することができただろう。
メンタリストDaiGoが馬鹿でないと仮定した「ドンクサイ分析」を深く反省して、再発防止に努めたい。

以上、認知能力低下のメンタリストDaiGoを非難するコメントを紹介した。