ごきげんよう。

上野千鶴子の東京大学入学式祝辞が話題を集め、ここで語られる性差別論が物議をかもしている。
この東大女子差別説を受け、ジェンダー学、特にセクシャルマイノリティに造詣が深い堕天使エヌとして見解を述べたい。
ついでに、この堕天使エヌからも東京大学入学生に祝辞を送りたい。


上野千鶴子は東京大学名誉教授である。Wikipediaによれば、家族社会学、ジェンダー論、女性学を専攻している。
さて、上野千鶴子名誉教授の性差別論に物申すにあたり、まず東大入学式祝辞の内容を見ていこう。
「HUFFPOST」に「東大入学式の祝辞全文」が公開されていたので、以下に一部引用する。

【平成31年度東京大学学部入学式 祝辞全文】

ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。

問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。

「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」

ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。

統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。

2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

【中略】

女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

【中略】

これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。

学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。

【中略】

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。

そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

【中略】

大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。

ようこそ、東京大学へ。

平成31年4月12日
認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長
上野 千鶴子

[上野千鶴子さん「社会には、あからさまな性差別が横行している。東大もその一つ」(東大入学式の祝辞全文)(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5cb01f5ee4b0ffefe3ae261c)引用]

中略を入れて注目部分だけ残したのだが長文になってしまった。
まず、冒頭の医学部入試の不正に関しては、完全に男女差別であり、大学として不適切な対処だったと言える。おそらく男性の方が将来的に開業医となり寄付をしてくれる可能性が高いという考えからだろうが、私立大学であろうと助成金を受けている以上、利益よりも教育機関としての社会的役割を優先すべきだと思われる。
これに続き、医学部入試の統計結果として男子より女子が入学しにくいことが語られる。特に注目したい部分を再度「HUFFPOST」から引用する。
全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。

「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」

ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。
私に言わせれば、「ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。」の前提となる「「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」」に何らかの説明が必要である。
「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」が真であれば、面接や論文などの主観的評価を含まない入試で女子受験生が無双できるはずである。しかしながら、東大をはじめとする上位大学の理学系や工学系において女子学生の割合は非常に低い。何をもって優位とするのかエビデンスが必要であると共に、客観的科目試験の点数のみで合否が決まる入試において女子受験生が優位となっていない理由を示す必要がある。

文系学者にありがちなことだが、結果の数字だけ見せて統計的に差別が示されたとドヤ顔するのは恥ずかしい。統計学に基づいて、結果と原因との相関関係まで数値で示して主張が通るのではないか。今回の東大合格者の例でいえば、東大オープン模試の男女別成績から東大合格者中の女子学生が「2割の壁」を超えないことが妥当であるか検討するなどの論法が考えられる。

一方、上野千鶴子先生の意見に共感できる部分もある。
2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

【中略】

女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。
親による支援に男女差が残っている可能性は否めない。これは環境として気の毒である。
また「かわいいは正義」は世界の理の一つである。日本社会において「かわいい」と「知性」とを対極に置く考えがあることは悪しき風習である。これからの日本人は、KKE(賢いかわいいエリーチカ)の精神を持ち、かわいさと知性とを兼ね備えることが至高であると気付かねばならない。

男性が学問を強いられること、女性が学問を強いられないこと、これが一番の問題だと考えられる。
それが親によることもあれば、社会の雰囲気として女性は頑張らなくてもいいという風潮に流されることもある。
大学受験において、共学校よりも女子校の方が難関大合格実績が高い要因は、女性であるからという甘えが生まれない環境だからこそだと考えられる。



個人的見解として、間違いなく男女差別は根付いている。それは、前述したように大学入試以前の文化としての問題である。しかしながら、並列に主張される「男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験している」という理論はこれに矛盾するものでしかない。採用人数や合格人数という結果だけで差別がどうこう喚いて結果の平等を求めるのではなく、社会として機会の平等を醸成させていくべきだと私は考える。楽観的に展望すれば、現代の老害が消えるにつれて良い方向に進んでいくだろう。

そして、上野千鶴子祝辞の後半を見ていこう。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。
ノブレスオブリージュ。恵まれた分だけの責任が生じる。
最後は良いことを言って締めている。

やはり個人的には前半のトンデモ理論が気に食わない。この理論は断固否定したい。
何よりも思うことが、東京大学の入学式で話すべき内容ではなかった。めでたいイベントに水を差す持論は必要ないのだよ。

本記事の締めとして、堕天使エヌから東大新入生に祝辞を送る。
老害に惑わされず、自分で考えて判断することが大切である。
ジェンダー論を考えるにあたり、百合はいいぞ!
セクシャルマイノリティに関する東大生のバイブルとも呼ぶべき『やがて君になる』をおすすめしたい。
『東大生の本棚 「読解力」と「思考力」を鍛える本の読み方・選び方』(西岡壱誠)に基づき半分おふざけで挙げたわけだが、実際『やがて君になる』のヒロイン達は、かわいさと知性とを兼ね備えるという理想を地で行くモデルと言える。
そういう意味では、セクシャルマイノリティという狭義に留まらず、男女平等を考えるうえで、将来の日本を担う東大生諸君には『やがて君になる』を推奨する。

以上、東大入学式の性差別論に物申した。

ブログランキングぽちっとオナシャス! 

ニート日記ランキングへ

にほんブログ村 その他日記ブログ ニート日記へ
にほんブログ村